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わが大地のうた-1(ワサビの花)

2014年4月2日(水)07:01
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〈2014/04/02〉

▽ にぎやかならず しっそに咲きたるワサビ花

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杖をつき、ようよう歩む我が老母が、「そろそろワサビの花が咲いているらしいよ」と私に教えてくれた。去年はその時期を逃したものだから、今年こそはと二人で出かけることにした。

ワサビ農園までの道すがら、日ごろ世話になっている長谷川夫妻が営む小さな店に立ち寄ってみた。夫妻は「安曇野コンサートホール」というスタジオを運営し、その一角に、趣味か道楽でもあるかのような喫茶スペースを設け、陽のあたるそこで、日がな一日を過ごしている。

無沙汰への苦情を言うこともなく、夫妻はいつもの笑顔で迎えてくれた。
言わずとも、コーヒーと菓子が私の目の前に置かれ、母には番茶が出された。けれど、常々、私はその代金をほとんど払った事がない。(出世前の役得であろうか?)

唐突に、共通の友人であり、地元で活動するローカル・フォークシンガーたちの話題となり、長谷川氏は、日本フォークの草分けと言えば……、と、「笠木透」という方のCDと本を私に紹介した。

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笠木透なる人とは……、あの「中津川フォークジャンボリー(1969-1971)」の企画・プロデュースを手がけたフォーク界の重鎮であり、自らも作詞・作曲・著作を世に著す、知る人ぞ知られるシンガーソングライターなのだと言うが、不幸にして私は、その名を存じ上げなかった。
と言うのも、私が深夜ラジオを通じてフォークソングに目覚めたのは11才、時は1973年、既に、土臭いフォークソングは変化期を迎え、耳ごこちの良いニューミュージックの全盛が到来しようとしていた頃であったからによる。

しかし、幼きあの時分、小室等、みなみらんぼう、高石友也、西岡たかし、岡林信康、などの、日本フォーク先駆者たちの歌に心臓をワシづかみされていたのは事実であり、その幸いによって、学校でも家でも居場所を見失っていた私の傷心が救われた事も確かであった。
あの時、彼らとの出逢いがなかったら、きっと、今の私は居なかったにちがいない。

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わが大地のうた https://www.youtube.com/watch?v=nLrjqiV8boU(朗読:笠木透/歌唱:高石友也)

それだから、朴訥な笠木透氏の歌声には心を刺すものを感じ得、途端に、私の大きな眼鏡は曇り、母や夫妻を前にして咽ぶのをこらえた。

さらに 帰宅後、ずいぶんと昔から聴きなじんでいた、「私に人生と言えるものがあるなら http://www.youtube.com/watch?v=nbacY2aIvp4」「私の子どもたちへ http://www.youtube.com/watch?v=uBYlnReBDDg」などの名曲が笠木透の手によるものであるをネット検索により知った。
それらの歌を、私は永いこと高石友也のものであると思い聴いていたが、実は、子供のころから既に笠木透に触れ、包まれていた事を知らされ、思わず涙した。

けれど、この感動を伝え記すには、紙面も筆才も足りない。
ただ、ささやかな私の人生に予期せず起きたこの快事を、誰かと共有したいと念望した。

 

ところで……
著書の奥付にあるプロフィールによると、笠木氏は1937年の生まれとあるので、加山雄三と同い年である事にすぐ気づいた。
中学3年のある日、「僕も今年で40才になりますから……」と、TVの中の加山雄三が言ったのを聞き、「えっ、あの若大将が……、まさか?!」と、小さなショックを得たのを鮮烈に覚えている。

当時の私にすれば、40才などというものは、棺桶に片足を踏みかけた初老であるかのように思えていたわけであり、まさか、その自分がその歳を遥かに超えた今など思いもよらず、さらには、私が初老(?)と嘆いた若大将が今も変わらず若大将である37年後の今が、いとも可笑しい。
そして、その若大将と歳を同じくする笠木氏もまた、やはり、まぎれもない青年なのである。
その、青年「笠木透」の永年の夢は、いつか「憲法フォークジャンボリー」なるフェスティバルを実現させる事だという。

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意見の個人差……などという揶揄は物ともせず、「護憲」を声高らかにする笠木氏は、40幾年前、若者が皆、ギター1本で世の中は変えられると本気で信じていた頃の夢の続きを成し得たいのだ。

けれど、その偏向性ゆえか、未だ、その願いを叶えるに至っていない。
ただ、同じ夢を切望する者は決して少なくはなく、「ここにも、あそこにも、こんなに居るぞ!」と、声を大にエールを贈りたい。
何となれば、実を申すところ、私も全く同じ事を頭に描いていた非力の者の一人であるからだ。

反戦!、比戦!と拳を掲げるシュプレヒコールは鳴り止まず、それは無論、有意なものと同意し、その行動力に羨望もする。
けれど一方、自由と平和のために銃をとるのだ……自衛権云々、抑止力云々……と、憚らぬ声との軋轢(あつれき)も否めず、相互の価値観は対照し、平行を交えない。

両者には、共通する言語が必要だ。ラテン語とスワヒリ語では、全く意思の疎通が無理であるのと同じこと。
だから、互いの共通語を「音楽」と定めるが良策……と、かねがね、私は思っていた。
例えば、椅子に腰かけ好きな音楽に親しみ、美しい絵画や芸術に触れる時、いったい誰が、憎い者の顔を思い浮かべ、戦いの計画をねる事が出来るだろうか。
……できやしない。
むしろ、憎むべき者を許し、脅威する敵など何処にも居ないことを知るに違いない。

かつて、J.F.ケネディーは言った……
「地球の未来のために必要なのは、互いの違いに寛容であることだ。」

 

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※ 笠木透氏は、長谷川夫妻の安曇野コンサートホールで「わが大地のうた」というCDアルバムの録音をした。その縁で、揮毫とともに贈られたという貴重な著書を私は借り受けた。まずは、それを読み、所感などを報せたい。

 

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笠木透のYoutubeに夢中になり、結局、夜明かしをしてしまった翌朝、私は随分と久しぶりに美しい旭を目にした。
なぜだか、私の人生が新しく書き換えられていくような気持ちになった。

 

 

35fbe2a7△承知の如、日本国憲法は103条までしかない。笠木透は、大切な一項を忘れてはいけない、と此れを詠み加えた。

 

私の子どもたちへ 【作詞/作曲:笠木 透】

1.生きている鳥たちが
生きて飛びまわる空を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
目をとじてごらんなさい
山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
コブシの花があるでしょう

2.生きている魚たちが
生きて泳ぎ回る川を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
目をとじてごらんなさい
野原が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
リンドウの花があるでしょう

3.生きている君たちが
生きて走り回る土を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
目をとじてごらんなさい
山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
コブシの花があるでしょう




「わが大地のうた-1(ワサビの花)」へのコメント5件

  1. 安曇野市 福島敬泰 より:

    笠木透さん、聞かせてもらいました。
    じ~んときますね!歌詞がわかりやすくきれいなメロディーを奏でる方なのですね。
    私も感動しました。

  2. 穂高 高橋 より:

    笠木透さん、何度かライブを見たことがあります。
    志のある誠実な唄を歌われる方ですね。

  3. 安曇野市 木幡 より:

    笠木透さん・・
    私は舞台を拝見したことはありませんが、まわりに思い入れのある方が多く、CDを貸していただいたことがあります。
    震災の後で ことば が とても沁みました。
    当時の安曇野でのコンサートのチラシも印象的でした。

  4. 諏訪市 臼井 より:

    笠木透さんの歌、いい歌ですよね~!
    私は、名前は聞いたことがありましたが、歌は知りませんでした。
    でも、残間さんのお気持ちわかるような気がしました。^^

  5. 安曇野市 長谷川芳治 より:

    フォークソングの重鎮ともいえる笠木透さんのCD、著書を紹介して、これほど感動していただいた人も珍しいです。
    これもわが青春時代の真っ只中で影響を受けた音楽だからこそかもしれません。

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