ホーム » 安曇野の陽だまりから »  政宗に山林六百町歩を献上した男<3>

政宗に山林六百町歩を献上した男<3>

2019年6月14日(金)02:04
カテゴリ:安曇野の陽だまりから  トラックバック:URL

板谷斎兵衛大蛇退治伝説

時は遡り、初代 藤右衛門がまだ赤子であった頃の話である。記録によれば天正三年(1575)とあるので、おそらく藤右衛門の祖父のことではないだろうかと思われる逸話が残されている。それは、あたかも出雲の八岐大蛇《やまたのおろち》伝説の如き語り物であり、戦さの世にあり俗を離れ存在した謎の国・板谷を象徴ならしめるものと言える。

黒川郡大谷庄成田村板谷峠の麓に山立《やまだち》(猟師)の長《おさ》、斎兵衛という者あり。性質は勇猛にして狩猟の才に長け、その技は百発百中の腕前なりと名が轟き、「奥州一の鉄砲名人」と称された。

ある朝のこと……、斎兵衛は鉄砲を肩に、後ろ澤の沼へ鴨うちにやって来た。林を掻き分け沼の畔に立った途端、斎兵衛は何時《いつ》にない異変を感じた。

沼の水は常ならず赤く映え、静寂の風にのり〝ぐぅゎーぐぅゎー〟という得の知れぬ唸り声が聞こえる。

妙と思い辺りを見わたせば、沼際に突き出た赤松の巨樹に、胴廻り六尺もあろうかという大蛇がずんぐと巻きついているではないか。

さすが豪胆な斎兵衛も腰をぬかさんばかりに驚いた。が、幸いにして大蛇は樹の股に頭を乗せて居眠っている。「何さ慌てる事はない……」と、気を取り直した時、「斎兵衛や、撃つなら今ぞ……」と、どこからか声がした。振り向いてはみても声の主は居らず暫し躊躇していると、「こやつこそは度々村の衆を襲い脅かす蛇物なるぞ。さぁ、成敗せしめよ……」と、また聞こえた。

「これぞ氏神様のお告げか……」

斎兵衛は大蛇の喉元を目掛け〝ずどん〟と引き金をひいた。

大蛇は、仰《あお》向いて赤腹を見せたかと思うと、轟音と共に沼に大きな水飛沫《しぶき》を上げた。

その飛沫を見とどけるやいなや、斎兵衛は踵を返し一目散に屋敷へ駆け戻った。

そして、すぐさま門に神札を貼り付け、屋敷じゅうの戸を〝ばたりばたり〟と閉めてまわった。

わけを聞こうとする家人へ説くもそこそこに、急ぎ庭火を焚き煙《けぶ》を上げよと命じた。

ほどなく、屋敷の周りを〝ごーごー〟という大きな風音が舞い、遠くから〝ずりずり〟という不気味な音が近づいてきた。傷を負った大蛇が追いかけてきたのだ。

しかし、硬く閉じられた門の札と猛炎のおかげで、事なく大蛇は退散した。

ところが、それから幾月か過ぎた頃、不思議な事が起きた……。

屋敷裏の小川に多量の油が途切れなく流れてくるものだから、不審に思い上流へ遡り見れば、そこは残間家(板谷家)氏神の社《やしろ》であった。

さらに不可解な事に、のたうち回った挙句に川から岸へ這い上がったと思われる、あの時の大蛇の骸《むくろ》が何かを抱えてついえていた。

その塒《とぐろ》を解いてみれば、そこには何と御神体があるではないか。

察するに、さぞ無念と思った大蛇めは、斎兵衛の代わりとばかりに氏神の御神体を巻き締めながら息絶えのだ……。つまりは、斎兵衛の常日頃の信心を汲み、御神体が身代わりとなってくれたものと解するより術《すべ》を見ない。

その豪毅者にあやかろうと、後の残間家では〝斎兵衛〟の名を襲名する者が多くあった。

それから三百年を経た明治初頭、十一代当主 斎兵衛の頃、ある日、時の出羽松山候が山路の途上で残間家に小憩した。

その際、戯れに語られた話が同行の漢学者某の手により書きとめられ、後に「利府町史」の記録に残った。文末には、「今の世に至ってもなお、大蛇が通ったと思われる所は、野も畑も作物が赤く変色して育ちが振るわない……」と、附記されている。

また、一説には、政宗が鷹狩りの途中で残間家に立ち寄りし折、その大蛇の骨なりと石のような塊を観せられ感嘆したと真しやかに伝えられている。

かくの如く、残間の祖である者が山の領主として地位と尊敬を得たるは、奥山の悪霊の類いと闘う姿を領民が鑑《かがみ》としたものに他ならず、これが誠であれば是、非《あ》らずとも是……。つまり此れが、人知れず生き続けた者たちの厳たる歴史である。

 あくまでも想像の域を出るものではないが、天正三年(1575)といえば、ちょうど大谷邑の領有をめぐり、他の近隣豪族たちが対立と攻防を繰り返していた時期と重なる。

その際、留守氏の一方的な猛攻を受けた残間一族は、葛西氏の加勢を得、結果、その仲裁により和議の解決を見たとなっている。

それであるなら、ここで言う大蛇とは、板谷峠を超えて大谷邑へ攻め込んできた留守軍勢の隊列に意図されているのではないだろうか。

そう考察する時、この逸話は初代 藤右衛門の手による創作ではないかという仮想が生まれてくる。このように先祖礼拝することによって、自身以前の一族の歴史を自ら隠すに至った、心の重荷を赦免されたいと願ったのだ。

現に、明治期になり、大蛇のものとされる骨と牙を鑑定したところ、前世紀の鮫類のものと推定されたと記述にある。

しかし、前言のとおり、非らずとも是である。




「政宗に山林六百町歩を献上した男<3>」へのコメント2件

  1. M より:

    これは傑作です。
    ぜひ、紙芝居にして語り継いでください。

  2. 残間昭彦 より:

    どうもありがとうございます。恐縮です。
    お恥ずかしいようですが、そのように言ってくださり大変光栄です。

コメントをつける