ホーム » 安曇野の陽だまりから » 木曽路にて-4 | スウェーデンログハウス株式会社

木曽路にて-4

2009年9月9日(水)05:16
カテゴリ:安曇野の陽だまりから  トラックバック:URL

第4回(2009/09/09)
木曽路にて-4

1717_00

こうした処でのんびりしていると、一日は早く過ぎてしまうものだ。
私は、柔らかな西陽を浴びた田園と花園の重なった風景を眺めていた。
その面白さに、何となくカメラを構えた瞬間、稲穂の波間から、農婦が立ち上がり表われた。
麦わら帽をかぶった農婦の姿は何とも絵になっており、不思議なほど美しい光景に思えた。なのに、何故だか私は、シャッターを降ろすことをためらっていた。
理由のわからぬ遠慮のような妙な気持ちを覚え、私はただ漠とその景色に見とれ、静かに心のシャッターを押した。
それが、こうした場所における正しい感動のしかた、否、礼儀であるかのように一人合点した。

1717_01

奈良井宿を過ぎ塩尻あたりにさしかかると、「平出古墳遺跡」と云う標識が気にかかっり、反射的にハンドルを右へ切った。トラクターに乗ったお百姓に尋ね尋ね、目的地に到着した時、校倉(あぜくら)の高床式倉庫を落ちかけた最後の夕陽が包み込んでいた。絶好の斜陽である。感動屋の私を夢中にさせるには充分すぎるシチュエーションだ。
唐突に、私は幼い頃の一時(いっとき)、考古学者に憧れていたことがあったのを思い出し、無性に興奮した。

この校倉造りの高倉は平安期ころの復元物であるらしいのだが、それにしても不思議である。
平安期といえば、スウェーデンや欧州各地域でログハウスが造られはじめた時期とほぼ一致している。
同じ時に、全く別の国の人が、家とするための丸太材を見て同じ手法を考えついたのだ。
事実、建築が容易であり、かつ優れた調湿機能という点においてはこれに勝るものはないわけであり、何ら情報交換などなくても、必要に応じて具現されるのが発明というものなのか……。感心すること、しきりである。
陽が沈み、あたりが真っ暗になるまで、蜩の音(ね)と共に私はそれを見つめていた。

この二日間、実に良い道草をしたものだ。
思えば、あの旅の1ページが、信州移住への因縁となったような気がする。




コメントをつける