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スウェーデン紀行 2010〈報告-2〉

2010年2月3日(水)18:30
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スウェーデン報告-2(2010/02/03)

エッセイ「白夜の風に漂う」の基稿を書き上げた翌年、2002年7月、再びスウェーデン行きの機会を得た。間借りなりにも一巻の小册を手掛けた満足感に気をよくしていた私は、「ヨシ、今回も……」と、まだ見ぬ何かに期待をしていた。
まず、SASの機内で隣あわせたビジネスマンにこちらから口火をきった。さしずめ作家気取りの取材か……。
ビジネスマンは内心の不快を隠しがたい様子で、一つ二つの愛想を言い、しばらくして席を立ち、すぐに戻ってきた。とたんに彼は、「別に広い席が空いているらしいので私はそっちに行きます。では、失礼」と言い残しトランクを手に取った。
時々、海外に来てまで日本人と話などしたくない……というふうに、露骨な表情をする邦人を見かけることがあるが、きっと彼もその類いだったのだ。
旅への期待感が一瞬にしぼみ、その年の出張は見事なまでに何もない、ただの移動に終わった。
つまりは、「求めよ、されば与えられん」の逆である。
だから今回は、何らの期待も持たぬことにした。

と、いうわけなのだが、この景色だけは絶品だ。
11日早朝、北の目的地ALFTAへ向かう私の列車は、まだ薄暗い都会を抜け、いつしか森の中を走っていた。
出発から1時間ほど過ぎると、窓がほんのり茜色に染まってきた。偶然、東側の窓際席に座れた些細な事実が幸運と思えていた。
冬、北欧の旭は南々東にあり、数時間後、そのまますぐ、南々西に沈む。
白の原野は眩しく輝き、雪の重みで枝を垂れた樅の木が目の前に迫り、時おり、ファールンレッドの小さな家がポツリと姿を見せる。
いったい、この景色を目の当たりにして胸を踊らせない者がいるだろうか。

走る列車からでは写真が撮れないのが残念であるが、いつも、「カメラのことに気をとられて煩うより、瞬間の感動を心に納める方が好き……」と、旅好きの女友達が言っているのを思い出し、納得した。
「ほら、暖房のきいた暖かい列車の中から、こんなに綺麗な樹氷や霧氷が見られるんだよ……」。そんな、彼女の声が聞こえる気がする。
本を読むのも、この陽射しに微睡むことも実にもったいない。
ただ、この至福にずっと身をおいていたいと欲念した。

それにしても、冬のスウェーデンでは昼間というものがほとんどなく、朝10時ころようやく昇った陽も昼過ぎか3時くらいには真っ暗になってしまい、わずかな日中さえ薄曇りであると聞いていた。だから、冬のスウェーデン人は皆、くらく憂鬱な顔をして過ごすのだと誰かは言っていたけれど、それは全く当たっていないのではないかと思った。
それに、「こっちは零下30度くらいだよ」と聞かされ、覚悟を決めていた甲斐もなく、さほど寒くもないのには本当に驚いた。
事実、ダウンのインナーも、たんと用意していったホッカイロも、滞在中、結局一つも使わないまま邪魔な荷物になってしまったほどだ。(なのに、どうして風邪を……?)

とはいえ、列車の外はマイナス15〜6度ていどの寒さであり……、しかし、それが頬にひどく心地よく、空も快晴だ。
例により、20分ほどの遅れでアルフタの玄関口「ボルネス駅」に到着した。
工場長のヨーランと、もう一人、長身の男がホームで迎えてくれた。
男は臨時通訳のMr.ブッセ。南に200kmほど離れたヤーブレ(Gavle)という街から、私のために来てくれていた。齢は60半ばくらいであろうか……。
日本人の妻を持つブッセ氏は、英語・日本語のみならず、イタリア語・フランス語・オランダ語などを自在にこなし、それらの翻訳業を常の生業(なりわい)としている。
「実は私、大学の日本語科で講師の仕事もやっているんですが、今回はギックリ腰になったと嘘を言って休みをとったんです……」と、流暢な日本語で気さくに話だした。
これまで私が付き合ってきたスウェーデン人たちとは少し気質の違う、案外とおしゃべり好きの楽しそうな男である。




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