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花火……信州穂高の山頂にて

2010年8月16日(月)23:36
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2010/08/16

私にとって、初めての花火の思い出……
やはり、それは故郷・新潟の花火だ。
父の腹に持たれ、屋根の棟瓦にまたがって観た信濃川の花火である。
日頃は恐いばかりで、父の膝に遊んだ記憶も稀だったけれど、あの日ばかりは違っていた。
何ごとにも厳格な父が、枝豆の食べ殻をポイと屋根から投げ捨て、「お前もやれ、玄関の前は明日の朝掃除すれば良い」と言って悪戯っぽく笑った。
10才になったばかりの夏の思い出だ……。

長峰山頂から観る安曇野の花火は、途中から雨になってしまった不運も手伝ってか、やはりあの夏の花火に勝るものではなかった
けれど、本来、下から見上げるばかりの花火を真正面に見る面白さは此処ならではのものであろう。


私の父は昭和五年の生まれで、敗戦のその年はまだ15才の少年であった。
だから、本当なら戦争になど行かなくても良かったはずなのに、時勢に感化されるまま、予科練の徴兵に志願した。両親の反対や職業軍人であった伯父の諌しめさえ聞かず、「昔なら元服して戦さに行く歳だ!」などと、血気盛んに入隊したのだが、幸い、戦地に赴く前に終戦をむかえている。
それから50余年、逝く前の年、「あの経験が俺の人生観を変えた」と父は豪胆ぶり、杯をほした。そんな、平和観や死生観に反発しつつも、何故だか、号泣しながら父の戦時体験を夜どおし聞いたのを懐かしく想う。
戦後65年の節に、昨晩、NHKで「15歳の志願兵」というドラマを放映していたけれど、まさしく、亡父の青春を垣間見る想いであった。

 

良いも悪いも無く、「青春」という輝くべき季節を、ただ一つの形でしか許されず過ごした、若者たちの時代があったのだ。

新潟(長岡)の花火を見物しながら山下清画伯はこう言ったそうだ……
「世界中の爆弾を無くして、全部 花火にしちゃえば良のになぁ。そうすれば皆が幸せになれるのに」。

まったく、その通りである。




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