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豊かなりし奥信濃

2011年1月21日(金)22:12
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2011/01/21

毛をぬかれた猿である私たちは、文明の利器を取り上げられてしまうと、途端に原始人に戻ったように不安になってしまう……。
たとえば、パソコンなぞが壊れでもしようものなら、たちどころに何もできず困ってしまう。ここしばらくというもの、かような次第であった。

そういえば、脚本家の倉本聰氏が面白いことを言っている。
「たかが三メートル歩く労力を惜しんでテレビのリモコンを発明した現代人は、その運動不足を補うために、スポーツジムに通い、高い金はらって、何の生産性もない重たいものを上げたり下ろしたりし、どこへも行きつかない自転車を一生懸命こいだりしている。これって、ホモサピエンスじゃなくて、『ほぼサスペンス』だよね」。と。

笑ってしまうが、笑い事じゃない。
そのうち取り返しのつかないことになる前に、皆、健全な自然回帰の暮らしを目指せば良いのに……と思い、そんな生き方を羨望する今日このごろである。

豊かとは、いったい何だろう
季節でない野菜がいつでも食べられるということだろうか
昼も夜もなく常に明るいということなのか
できるだけ身体を使わず楽をすることか
はたして、経済的にリッチになれたからといって、それを幸せと呼んで良いのだろうか
私たちは文明に麻痺してはいないか
車と足はどっちが大事……?
石油と水はどっちが大事……?
人は、500年かけて育った木をわずか5分で伐ってしまう現実をどう理解するのだろう

(※倉本聰が語る言葉のフレーズを断片的にまためたもの)

▲何年か前、白馬ちかくの僻村「小谷村」をさらに奥へ登った「真木」というところへ行った。
昔に痛めた左膝の後遺症をかばいながらも、健脚の友の背を見失わぬよう息をきらせ登った。
森も川も美しいが、その道程は苦しいだけの地獄の行軍であった。
けれど、否、それ故に、 辿り着いた時の感動は言うに表せないものだった。
まさに、これを桃源郷と呼ばずして、何処をそう言うのだろうか。
すでに廃村となり、今では共働学舎なるものを名のる、自給自足の人たちが密やかに暮らすだけの そこは、本当にタイムスリップでもしたかのような光景だった。
光を抱いた小川は静かなせせらぎの音をたて、鶏は遊び、山羊 が目を細めてこちらを見ている。
そこに、自分たちのような汚れた人間が立っていることが変に不思議に思えた。




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