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わが大地のうた-3(古本)

2014年4月7日(月)07:03
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2014/04/07

かくして、少しホコリ臭い本が私の手元に届いた。
よく考えなおせば、こうした良本が、容易に人から人の手へバトン渡しされていくのも悪くない。

この本は、29年前(1985)、氏が48才の時に書かれた懐古的エッセイだ。
懐古の舞台となる当時、氏は、学生運動の闘志として、その渦の只中にいた。

基を正せば、僻地教育に志を持ち、山村へ出かけていっては演劇や映画上映をするなど、芸術振興を活動の本意としていた氏であるのに、いつしか、その情熱は政治へと向かっていった。
けれど、当時の若者にとり、そうしたことは極自然な衝動であり、少々過激とも言えた行為は、それを羨望しつつも、手をこまねいていた良心的大人たちの代行であったに外ならず、その意味では、彼ら若者こそは時代の犠牲者だったのだと言えなくもない。

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真面目とユーモアが混在する彼の文章に、すっかり魅了されてしまった。
だが、どうしてだろうか……
その愚直さを、時として「ダサイ」と言いたげに、耳をふさぐ若者がいるのだと、つい愚痴をこぼされる。

「暗いとか、重いというのは、どうも、ヤングたちの抱く、社会派につきまとうイメージらしい。
誰言うことなく、社会や、人間や、平和をテーマにしたものを、暗い、重いとしてしまい、なるべく、そういったものには関係せず、明るく、楽しく生きていきたい、というのは、あまりに非現実的で、いつか足をすくわれるに違いない。」(笠木透 著/わが大地のうた)より

そう申される氏の危惧には全く同意する。たしかに、かつての若者が持っていた情熱や覇気というものは何処へ行ってしまったのだろうか……と思う時がある。
しかし、「今どきの若い者は……」とは、洞窟の古い遺跡にさえ刻まれていた苦言だといわれる如く、これもまた、詮なき老婆心なのだろうか。

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