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ガーデンコンサート<臼井則孔さんの日>

2014年4月14日(月)19:50
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2014/04/14

「ぼくは陽だまりに、デッキチェアをひっぱり出した。パンツ一つになる。なんとも良い気持ちでウトウトしてくる。サンシャワーは、二・三・四月が丁度いい季節で、六月から夏にかけては、とても暑くて、ねそべってなんぞおられんのだ。」
と、笠木氏は日光浴の勧めを書いている。

まさに、そんな感じのある日、ログハウスの展示場見学会を催した。

余興で、友人の臼井則孔さんに来ていただき、オルゴールの演奏を聴かせてもらった。

自らを「シンガー・ソング・オルゴーラー」と称し、「世界に一人よ!」と、ちょっとエヘン顔の彼女は、手回しオルゴールを奏でながら、懐かしい童謡や子守唄などを歌うことを得意としており、「お昼寝しちゃってもいいですよ……」  の言葉に皆が癒されてしまう。

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第二部……。心地よい昼下がりの陽をあびる中、ころ良く小鳥が鳴きはじめ、曲の合間に彼女が話はじめた。
「昔の私は良い人と呼ばれる事に一生懸命でした。良い子を演じ、善い人を演じ、好い母になろうとしていました。そして、いつか本当の自分を見失っていく私に気づいてしまったのです。
今、こうして、オルゴールを弾いて好きな歌をうたっていると、自然と鎧を脱いで、見栄も背伸びも忘れ、有りのままの自分に戻れるような気持ちになっていきます。」

その言葉を聴きながら、彼女の豊かな感性を形づくった物を少し知らされたような気がした私は、ちょうど数日前に読みおえた笠木氏の著「わが大地のうた」の一文を思い出していた。

「ステージに立つ、歌をうたう、すると、どこかでカッコよく見せようという気が働く。ありのままに生地を出してと思うのだが、なかなか、そうなれない。そんな時は歌がつたわっていかない、心が裸になっていない。

山や海へ行く。なにも考えず、自然とたわむれ、遊びほうけて時を過ごせばいいのに、なんとか歌にしたいと思い、スケッチしたいと思ってしまう。そう思う瞬間から、心は裸になっていないから、自然は美しく見えてこなくなってしまうのだ。」(笠木透 著/わが大地のうた)より

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さらに、日光浴つながりで、こんな言葉を紹介しても、蛇足にはならないだろう。

「目を閉じて横たわれば、ふりそそぐ太陽の暖かさに感動し、目をあければ、流れていく雲の姿をあきもせず見ているという、ぼんやりした、いい気分の時を持つことが出来るようになった。
これは、これまで、いつも追われているような気がして、なにかをせずにはおれなかったぼくにとって、えらい変わりようであった。
これまで、意味があるから努力し、目的があるから走ってきたのだ。それが、なんの意味も目的もなく、ただボケーッとして、ねそべっている。
それがこんなに心地いいことだとは、思ってもみなかった。
裸体を自然にゆだね、解放していく楽しさがわかってきたのだ。」(笠木透 著/わが大地のうた)より
まさしく、安曇野の陽だまりから……、そんな気持ちになれた良い一日であった。
太陽の日ざしと、臼井女史の歌と演奏に感謝である。



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