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四つめの窓<2>

2018年9月2日(日)13:37
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2018/09/02

以来、母の手記にかかりきりとなった。
昼夜を問わず、腱鞘炎(けんしょうえん)になるほどパソコンを叩きつづけ、いいかげん頭も身体も疲れているのは分かっているのに、目ばかりが冴えて寝ても眠れない。
それでも、はじめのうちはまだ良かった。が、書き進むにつれて、当然ながら母の病状も紙面の中で進行していく……。
それで、次第に気ウツとなり、不意に涙の波が押し寄せてきたりもする。心の苦しみに耐えきれなくなるのだ。
これではそのうち、否、近いうちにどうにかなってしまうに違いない。

こうした時は、〝ポジティブ先輩〟に教えられた事の逆手技(さかてわざ)に限る。あまり重要ではないどうでもいい事に目を向けるのだ……。
と、ここで話をそらそう。

「お前さんの、その、ちょっと気どったような文章はどこから来るんだい……」と、誰かに聞かれる事がたまにある。
たしかに、子供のころから書くことへの憧れのようなものは持っていた気はする。
いつも、年末になると、本屋の店頭に来年のカレンダーや手帳に並んで日記帳が積まれる。その、見栄えの良い装丁に魅かれて、三日坊主になることは分かりきっている其れを買った。
しかし、自分の書いた字のまずさに吐くほど気分を悪くして、すぐに投げ出してしまうのが常であった。
その上、子供のころから難読症が悩みだった私は、偉人伝などたまに好きな本があっても、その一冊を読み切るのに半年も一年もかかってしまい、途中で諦めることも多かった。
それだから、そもそも文字というもの自体が縁遠い存在だったのだ。

ところが、当時、ラジオ少年だった私の耳に、五木寛之や星新一という流行作家の文章が、ラジオドラマとして言葉で飛び込んできた。
時期を同じくして、やはりラジオの中でパーソナリティーをしていた、フォークシンガーの谷村新司やさだまさし、それから、小室等・吉田拓郎・南こうせつ・武田鉄矢といった人そのものに先ず興味を持つようになり、識字困難にもめげず、そうした人たちの経験や心象をつづったエッセイ本をむさぼり読んだのが、文章というものに積極的に触れはじめたきっかけであろうかと思う。

それであるから、私にとり私淑(ししゅく)の師と呼ぶべきはその彼たちであり……、実を白状するならば、私が書くものの全てはその真似にすぎない。




「四つめの窓<2>」へのコメント2件

  1. Fuku より:

    ブログ再開したんですね、おめでとうございます。
    残間さんの文章の秘密がやっと分かりました。そんなわけだったんですね。
    前ページの入院のくだりも、思わず笑ってしまいました。
    また遊びにいきますね。

  2. 残間 昭彦 より:

    フクさん、コメントどうもありがとうございます。
    仲間うちに話しかけるような気軽な気分で書いた散文ですが、本当に仲間からメッセージが来てしまうと、妙に気はずかしい感じもします。
    これからも、色々とアドバイスや手助けくださいますよう宜しくお願いします。

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