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カテゴリ「お便り紹介 | スウェーデンログハウス株式会社」

このコーナーでは、ホームページを見て頂いた方からのメールと準備委員会のコメントを紹介していきます。

長野県在住男性
2011年8月5日

私は東京でシステムエンジニアをしていました。しかし、ストレスのため体を壊し、現在は前職とは全く別の家具職人として安曇野に暮らしています。実はサラリーマンを辞める時、周りからは「安定した職をなぜ捨てる?」と非難されるばかりで、体がボロボロにならなければ誰も認めてくれないのか、と焦心していました。自分でもストレスなどないと思っていましたが、安曇野という大自然に囲まれた場所へ引っ越し、家具工房を経営するようになり、サラリーマン時代にストレスが貯まっていたことを初めて実感しました。知らずに「ビジネス戦争」に巻き込まれていたのでしょうか。
ちなみに私は8月9日生まれです。戦争・平和については色々と敏感になりますが、平和という言葉は人それぞれ意見(想い)があると思います。安曇野平和芸術館を完成させて頂き、自分の心の中の「平和」を感じたく思います。
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〈あずべぇーのコメント〉
ちょうど10年前、私も、都会の暮らしに飽き安曇野へやってきました。
20年ほどぶりにジーンズをはき、首のネクタイをバンダナにしめかえ、重い鎧を脱いだあの頃を思い出します。
ストレスとは、泥々に酔った酔っぱらいのようなもの……。「お前さん呑みすぎだよ。そんなに酔って車運転する気かい。」と同僚に叱られても、「大丈夫、ぜんぜん酔ってない。俺はしらふだよ。」と、豪語して、電信柱にぶつかっちゃうんですよ。
つまり、危険への自覚症状がないまま、いつのまにか崖っぷち……というのがストレス病です。
おっしゃるように、「ビジネス戦争」しかり、本当の戦争もしかりです。早く皆んな、この危険信号に気がつと良いのになぁ、と思います。
我が生まれ日を希有な縁ととらえ、問題意識を持とうとするあなたには、きっと大きな使命があるのではないでしょうか。(生意気なこと言って、すみません……)


お久しぶり…あずべぇー です。
2010年8月6日

2010年8月6日

こんにちは……あずべぇー です。

今年もまた、広島の原爆忌日がやってまいりました。

そんな今日このごろ、近頃とんと、お便りをいただけなくなってしまい、少し寂しく思っています。

設立準備委員会発足当初や、著書発刊のころから久しく時が流れ、目新しい活動や具体的形もないものだから仕方ないのでしょうか。

仲間と共に活動をはじめてより数年、成果を見ることの困難を実感するこのごろです。

そして、計画の甘さを反省し、今後の展望を思慮する一方、時はかけても、ご支援くださった多くの方々の期待を裏切らないことこそ肝要であると、自覚を新たにする次第です。

ところで、今日は、当サイトが開設される以前に頂いたお便りを紹介したいと思います。

当時の私が返信したコメントの紹介は割愛させていただきますが、無関心世代と呼ばれる者たちが、無関心ではいられないと思った心の叫びを聞いてください。

これからも、少し長い目で見守ってくだされますよう、宜しくお願い致します。

 

「私は自ら平和を叫ぶタイプではないし、友人と平和や戦争について話す事もありません。何か気恥ずかしいというか、そういう土壌が出来ていないのでしょう。でも、皆が平和で穏やかに暮らせますように……そう願う気持ちはとても共感させられました。そして、これまで 〝無関心の一人〟 であった私が、空き地のような小さな庭に花を植えてみようと思ったこと、叫ぶことは出来なくても祈る事は出来るということを教えてもらえたこと……どうもありがとうございました」。(長野県・女性)

 

「あなたの言うように、拳を振るうのではなく花を捧げる、といった反戦行動に私も大賛成です。その思いは充分に皆に伝わるはずだと思います……」。(東京都・男性)

 

「地球は色んな憂いに満ちている。武器で更にそれを増やしてどうなるでしょうか。世界中の軍事費を費やせば少しはその憂いが減らせるかもしれない……」。(岡山県・男性)

 

「私は長崎出身の被爆者二世です。これまで私は、平和への考察は戦争が生み出す惨劇と向き合うところから始まるものと考えていましたが、本当はそればかりではないのだという事を知りました……」。(長崎県・男性)

 

「増えすぎた人類は戦争という形で淘汰されなければいけないのでしょうか……。そんな事はないですよね。多くの人が集まれば集まっただけ、多くの英知が産まれるのだから、きっと平和な世の中ができるはずだと信じたいです」。(長野県・女性)

 

「私は今、長野市に住んでいる小学六年生の女子です。そして、私も八月六日生まれです。私が生まれた時から四十六年と二分前、広島に原爆が落ちました。その事もあって、私は平和について深く感心を持っています。それで、今年の夏休みに広島へ行って原爆ドームを見てきました。心が痛んで言葉では表せないくらい悲しくて、とても辛かったです」。(長野県・女性)

 

長野県在住女性
2009年9月30日

実は、主人は平和とか興味がない、と言う人で、「人間が増え過ぎたから、この辺で戦争が起きるべきだ」なんて事を平気で言ってのける人なんです。
そんな状態で、主人の言動に本当に腹の立つ事や悲しい思いをする事が多くて滅入ってます。
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〈あずべぇーのコメント〉
人の意見は100人100通りですし、ご主人がおっしゃる通り、もし それが本当に天か宇宙の為すことであるなら、いずれ必然となるでしょう。
でも、まだ それは少し早いと私は思います。
だから、慌ててサジを投げなくても良いと思いますよ。
人と人の付き合いは、主義や思考や趣味が一致するか否かだけではないのですから、考え方の違いなど、食べ物の好みの違い程度に軽く考えても良いのかもしれません。命を脅かされないかぎりは……。

山梨県在住のYさん
2005年5月13日

確かに近ごろは物騒ぎな人が増えて、私も「この先どうなるの? 日本はあと50年もしたらどんな国になってしまうのかしら・・・」と心配に思ったりしています。
私は信州が大好きでいつかは引っ越したいと思っているのですが、いろいろとあって今は実現できません。でも、やっと私の居場所が見つかりました。誰とお 話ししても、自分の心を満たそうという気持ちが先に立ってうまくいきません。だから、そこに居ると全部許され解ってもらえるような気持ちになれる場所が欲 しいと思っていました。
平和芸術館をぜひ完成させてください。いえ、させましょう。私も音楽だけが心のよりどころなので、少しずつ応援させていただきます。

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あずべぇーのコメント:心の拠り所とするべき音楽を持っているということは幸せですね。何も心の支えがなく自暴自棄になったり、歪んだ表現で外に爆発させてしまう人もいますから。
「やっと私の居場所が見つかりました」、とてもうれしい言葉です。長野に住んでいなくても、信州安曇野が好きという気持ちは同じです。だから「安曇野平 和芸術館」を心の故郷と思い、こちらへ足を運ぶ機会を増やしていければ何より素敵ではないでしょうか。そうして、心のオアシスを得た人が多くなっていけ ば、きっと50年後の日本にも光はそそぎます。
若者に託す未来を憂う気持ちは何時の時代にもあるようで、何万年か前の洞窟遺跡の岩壁に「近ごろの若者は・・・云々」と年寄りが書いた落書きの痕があったといいますから、大丈夫、私たちの未来に間違いが起きないことを信じましょう。

東京都江戸川区在住のNさん
2005年5月10日

 声高に平和を叫ぶだけが平和を想う行動ではないと私も思います。 「祈念館」ではなく「芸術館」というのが安曇野らしさなのでしょうか。 私は安曇野へは一度しか行ったことがありませんが、いつかは、おいしい空気と広い空の下で、静かな自然に感謝しながら暮らしてみたいと思っています。
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あずべぇーのコメント:あなたのような若者が沢山増えてく れることを願っています。「安曇野平和芸術館」を平和の発信基地ではなく、平和の波及の場と呼ぶのは、まさしく平和そのもののような安曇野の空気感に触れ て、その感覚・感性を全国に広げていってほしいと思うからです。この平和な心と、景色や環境を失いたくないと願いつづけることこそが、イコール、反戦であ り環境保護につながっているのです。

長野県松本市在住のSさん
2005年5月6日

長い間、私は平和を訴える術(すべ)を模索してきました。その答えを知ろうとして広島・長崎の原爆資料館を訪れ、知覧の特攻平和会館へも行ってきました。
でも、その全てが過去の辛い記憶を辿るに終始し、いったい若者世代へどれほどの説得材料(興味)となりうるものかと少しの疑問を残しておりました。もち ろん過去の忌わしい現実を風化させず後世に継ぐことは大切なのですが、それだけでは両輪がそろわないような気がしていました。
このたび「安曇野平和芸術館」の設立趣旨を読み、私が辿り着いた考えと全く同じであることに驚き、且つ感動しました。私は芸術には全然うといのですが、 文学ならば少し解ります。軟らかな文学的言葉で優しく語ってこそ、若者たちに平和の心は届くのだと思います。その点におき、上原良司氏の文学(哲学)的な 平和主義の表現に傾倒した者の一人なのです。
それと、冊子「八月六日という日に生まれて」もとても感動しながら読みました。 正直言って、私の息子と同じくらいの年令なのに、よくこれだけ勉強して結論を見い出したものだと大いに感心しました。
ブッシュへの批判的洞察も面白かったし、非競争の論理や弱い者から見た平和観などに感銘を受けました。そして何より、「感性がつなぐ縁」という 言葉に〝ピン〟とくるものを感じ、突然の失礼をも顧みずお便りをした次第です。

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あずべぇーのコメント:老若男女をとわず無関心を 装おう人が多い昨今、身にあまる励ましの言葉に喜びがたえません。お誉めいただき恐縮ではあるのですが、実はこれは、ほとんど勉強も研究もせずに、ただた だ永年の想いの丈を散文につづっただけのものであり、結果 結論を断言したものでもないのです。
文学的であるとは、一層難しく教養的であるべきという概念をくだき、軟らかな言葉で若い人に語りたいという姿勢に感銘します。おっしゃって頂くとおり、 お仕着せの言葉や押し付けの情報では反発を買うだけで 共感・共鳴を得ません。 相手が望む言葉と環境をこちらから差し出してこそ両輪が整うものだと思います。

長野県松本市在住のAさん・主婦
2005年4月12日

趣旨はとても素晴らしいのですが、立派すぎて「新手の詐欺」ではないかと疑う人もいるのではないかと心配です。時節柄、 うまそうな言葉づかいには気をつけた方がいいかと老婆心ながら思います。
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あずべぇーのコメント:言葉の表現は難しいです ね。でも、詐欺と疑う人はどんな表現をしてもそう思うのではないでしょうか。そうした他人への懐疑心を払拭させ、人と人は信じ合うべきものだと気付いても らうのがこの事業の目的です。発信する側が常に正直な信念を持っていれば、必ず理解されるものと私たちは信じています。

長野県松本市在住のNさん・会社経営
2005年4月11日

芸術の振興による平和活動という趣旨には私はとても共鳴できるので すが、うちの女房殿は「文章が堅くて長いので、次ぎのページに進む気になれない」と辛口の意見を言っていました。できるだけ大勢の人に賛同してもらうため には、もっと平易でソフトな言葉表現をした方がいいように思います。
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あずべぇーのコメント:おっしゃって頂くとおり、 日頃むずかしい話題に無関心を装っている人にこそ理解を得たいと考えます。確かに、冒頭から主観的メッセージの色が少し濃かったようですね。ご想像に叶う ように、端から「癒されたくなどない」「芸術や平和など考えてられるほど暇じゃない」「闘争心も懐疑心も俺は失いたくないんだ」といった人も少なくありま せん。だから、そうした人の心をスムースに開いてもらうために、まずは「誰でもいらっしゃい!」という寛容的な姿勢で迎えるのが「芸術」という入り口です よね。それに対し、常に時代の犠牲となる若者たち、戦いの悲運に泣く子供や女たちの「平和」への祈りの声を消してはいけないということも理解できるはずで す。だから、静かに問いかけようと心がけていても、時として厳しい主張になってしまうことが間々あるのです。そんな時に優しく語ってくださるお手伝いを、 是非あなたのような方にお願いできれば嬉しいと思っています。

東京都練馬区在住のKさん
2005年4月10日

4000年前のシュメー ル人の遺跡のレリーフに『ビールは楽しい。戦は嫌だ』と書いてあるそうです。人類 の、いや人間という生物の基本遺伝子を見る思いです。ローマ法王の葬儀にブッシュ 大統領が参列しましたね。超矛盾の劇画を見る思いでした。私たちの 考えが少しでも広まるように努力いたしましよう。
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あずべぇーのコメント:人類が文明を築いてより 6000年の歴史において、世界のどこにも戦争(紛争)が無かった時代はわずかに300年。だから「戦争は人間の常態の性(さが)」だと言う人がいます。 けれども、いつだって戦争に参加する国や人は極一部にすぎないというもう一つの事実から、「戦争は人類の定め」などという暴言が否定されます。ビールと芸 術は、まさに平和の象徴だと言えるわけですね。
至極単純に言えば、あの戦争好きのブッシュでさえ、四六時中「絵」と「音楽」と「ビール」漬けにさせれば、きっと争いを忘れ、ビンラディンもフセインも許してしまいたくなるに違いないでしょう。

岡山県備前市在住のNさん・陶芸作家
2005年4月8日

「安曇野平和芸術館」設立準備委員会の発足おめでとうございます。
何事も実際に動き出すという事にはエネルギーがいるものなので、大変素晴らしいと思います。
私は一昨年「難病患者(団体)チャリティー展示会」を色んな人の助けで行う活動をしました。 多くの難病は人間が排出した化学物質が関与している事には疑いようもありません。
「地球は色んな憂いに満ちている!  武器で更に憂いを増やしてどうなるのか?
世界中の軍事費を費やせば少しはそれらが減らせるのではないか・・・」と叫びたい気持ちです。
戦争や平和について何も言わない人は、 無関心なわけでなく慎重になっているのだと思うのです。 多くの人はそれぞれ考えたり、気付いていると思います(心の中では)。

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あずべぇーのコメント:きっとそうだと信じたいものです。否、信じましょう。 人の世に「懐疑心」などというものがあるから戦争も差別も無くならないのであり、皆が信じ合い尊重し合えば真の平和はおとずれるのですから。 あなたの問題意識への情熱と言葉の重さに感動と共感を禁じ得ません。