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出版の応援をクラウドファンディングで……

2019年5月10日(金)21:37
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  自費出版応援のお願い(クラウドファンディングサイトReadyfor)
 元看護婦の母が〝命〟というテーマに対峙した

脳腫瘍闘病記をガン専門病院や施設に届けたい……  

いずれ誰もが辿るであろう老いと病い、それがどういう形で訪れ次ぎの〝生〟へと向かうのか。
死んでしまえば〝無〟があるだけ……と、言う人がいます。しかし、私は思うのです。それぞれの人生にそれぞれの価値と意義があるように、〝死に方〟〝看取り方〟もやはり尊く大切なものであると。

 刊行予定本の概要

● 本の題名:ありがとうをもういちど
● 副題:去りゆく母の心象風景
● 著者:残間昭彦
● 製本様式:単行本(四六版 / 300頁)
● 初版発行部数:1130冊
● 予定価格:1,200円(税抜)
● 刊行予定出版社:幻冬舎(げんとうしゃ)
(審査通過済み)

刊行予定本表紙案 ▼

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作品講評

本作品は脳腫瘍の母とそれを支える家族の心象を綴った闘病記であり、「人類の普遍的な課題を分かりやすく丁寧に描いた作品」という好印象を得た。
また、テーマ・内容・筆力ともに申し分なく、全国流通する上で全く問題のないクオリティであると判断される。

「死が近づいてくる」とはどういう体験なのか。
著作では病状の進行度合いやそれに伴う母親の感情の変化を丁寧に綴っており、読者を作中に引き込み、期待に応えうる文章であると思われる。

詩的な文体は描くものを表現する上で非常に適しているという印象で、特に、登場人物の心情と季節によって変わる安曇野の自然を重ねながら表現している部分が、映像的に解釈できるため解りやすく、読者の感動を増幅させる構成となっている。

頂戴した原稿は非常に完成度の高いものと言えるが、さらに多くの読者から反響を得るために一点提案させていただきたい。
内容に強弱をつけるため、重要な出来事が起きた日には、より読者の想像力を掻き立てるようなダイナミックな表現を使い、逆に重要な部分以外は思い切って削る必要もあるだろう。

結論として、本作は是非とも世に出すべき価値のある作品である。
単に印刷して配本するのではなく、制作力と流通力を持つ正規出版社から刊行し、多くの読者へ届けられるべき作品と考える。

企画編集部 尾﨑遼介

 

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この度、三年前に他界した母の笑顔と涙を手記に綴り、一冊の本として世に出すべくご助力を募らせていただきます。ご協力基金を下記のサイトからお願い致します。

https://camp-fire.jp/projects/view/182377

< サイトの開設期間は10月31日(木)まで >


母の生きた軌跡と遺志を形に

生前の母は「毎日〝ありがとう〟って百ぺん言うと幸せになるんだよ……」と、話すのが口癖で、いつも朗らかな笑顔をたやさず、誰にでも何にでも〝ありがとう〟と言って慈しむ人でした。
その母が、脳腫瘍のため〝失語症〟となり、最後に残した〝残語〟が、やはり〝ありがとう〟の一言でした。
遂にはそれも口にできなくなってしまった母の心を想い、母の笑顔と涙を綴ったこの手記のタイトルを「ありがとうをもういちど」と、しました。
そして、息子から母へ心よりの〝ありがとう〟を捧げます……。
(戯れに、こぼれおちたる短歌29編を言葉の隅に置きました。散文の箸休めにご笑読ください。)

 

 

本として出版する意義「人が生きる価値」

これは、母が私の手を借りて書かせてくれたものと思っています。
母がどうして、自らの病いと身命を賭し、これほど克明な記録を残させたのか……。
人はいつか死にいくもの。だから〝死〟という自然の摂理には特段の意図はないのかもしれません。
けれど、一つの〝命〟が或る時代を生きたという事実には深い理由があると考えます。
だから、〝ガン〟とは〝脳腫瘍〟とは、という至極個人的でありながら決して人事ではない一大事を広く世に打ち明けることが、残された者の役目であり今は亡き母の本懐と考えるのです。
このささやかな物語が、誰かの心を慰め励ますことを願っています。

それでも伝えたいことがある
いつかは映像化の実現も視野に入れ

〝本〟というものはいかにも厄介なものだと予々思ってきました。
歌であれば僅か3分で、絵であるならきっと一瞬で感動と納得を与えうるのに、
「これを読んでくれ……」と、手に押し付けられてから意を察するまで何日もの時を要します。
それを嫌い、端から背を向ける人さえ少なくはありません。
随筆を同じ芸術表現と呼ぶには少し微妙ですが、それにしても不公平なことです。
しかし、それでも伝えなけらばならない物がこの胸にあふれているのです。


この本を手にとってみたいと思っていただくために
序文と結文の一部を紹介します

 序 文(抜粋)

いま日本では、自殺をする人の数が年間二万数千人を数えるという。
慎みに欠ける物言いではあるけれど……、その一人一人の人生のうち、捨ててしまうはずのたった数時間を、もしも、もらう事が出来るなら、母はあと十年生きられる。
でも、それは叶うべくもなく、生命《いのち》を使い終えた母は、約束どおり天にその身を還していった。オルゴールがゆっくりと鳴り終わるように、自然と息を閉じて……。

末期の全身ガンと診断された母にとり、為せる術《すべ》といえば時を待つ事より他は無かった。その数ヶ月後、どうしてか、それらのガンは消えた。けれど、その奇跡は頭にまでは届かず、結句、脳腫瘍という悪魔の巣くうに任せた。そして、当初より、一切の延命治療を拒んでいた母が、或る日「怖い、怖いのよ……」と、私の胸に泣きすがった。

その宣告から以後、四季を過ごしつつ母が私へ伝えた多くの宝物は、まるで幼き日に聴いた子守唄のように優しく哀しいものであった。
生と死を見つめるという事がどういうものであるのか、時の経過と症状の進行に伴い心と思考はどう移り変わるのか。その全てを、当人、家族、医療側、それぞれの目線で見つめたものを書き残さなければならない。

 

 結 文(抜粋)

昔からずっと思っていたことがある。いつか、死ぬ時は夏の終わりの夕暮れがいいと。
西陽のさすベランダに置いた椅子にもたれ、蜩《ひぐらし》の音《ね》を聴きながら静かに息を吐き目を閉じる。
病院のベットで息を引き取った母はどうだったのだろう。おそらく母も、その時のことを想像くらいはしていたのに違いない。
そして、それはきっと、澄みきった秋晴れの空へ、静かに吸い込まれるように昇っていきたいと願っていたような気がする。
その想いのとおり、母は目蓋に眩しい青空を感じながら逝った。そう、死ぬなら今、今日しかないと念じたのだ。

ただ、一つだけ私には悔いが残った。それは、母が息を閉じる瞬間を見届けることが叶わなかったこと。

その日の午後、赤木師長から電話があった。午前中は何ともなかったのに急に容態が悪化した……、と。それが一三時一七分と、病院の記録にある。

取るものも取りあえず私は母の元へ向かった。だが、どうしてだか、途中でガソリンを入れにスタンドに寄っている。一昨日から点灯していた燃料燈が気になったせいもあるが、何より、昨日まで全くその兆候を見せていなかった母が、まさか……、という安易な気持ちが無かったとは言えない。その、わずか数分のために、私は母に声をかけることを許されなかったのだ。つまり、これは母が私に与えた最後の教訓にほかならないと思う。
< 略 >
親の死に目に会えるとか会えないと言うけれど、心底それを望むのは、逝く前の親の方であろうかと思う。この世の最後に見るべきものは、自分が生きた証しである子供の姿であり、それを目に焼き付けて死門へ向いたいと念望するはずだから。

本文の抜粋をお読みくださった方々から
心あたたまる感想をいただきました

直接あるいは間接的な知友人に、全文の6分の1くらいの抜粋文を読んでもらい意見を求めました。

介護ヘルパーをしています。これを読んで、脳腫瘍の自分の母を思って涙が止まりませんでした。私もこんなふうに母や利用者さんに接しようと思い、とても参考になりました。

普段は「このクソバァバァ」なんて言ってしまうこともあるけど、母に「ありがとう」って言いたくなりまた。来週、久しぶりに実家に帰ってこようかと思います。

私は看護師をしているのですが、これは凄い体験だと思います。本になれば、私たちのように患者さんと関わる者にとってのバイブルになると思います。抜粋ではなく、全部読んでみたいです。

私も肺がんを患っていて、母も3年前に胃がんで亡くなりました。がんについての専門書は沢山ありますが、こうしたメンタル面に関する本は多くないので、読みながら涙が止まらず困まってしまいました。いま、患者会の仲間で回し読みをしています。

「私はこの腹を破って産まれてきたのだ」云々、というくだりに感動して泣いちゃいました。私を含め、子供たちはもっと親に感謝をしなければいけないと思います。「親孝行 したい時には 親は無し」なんて事になる前に。

本という形になって、見ず知らずの人の手に取られ読まれることにより、亡くなられたお母さまは再び蘇り、ずっと生き続けるのだと思います。ぜひ出版化してください。

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残間昭彦君の「ありがとうをもういちど」の出版を応援する会
発起人代表 対馬孝一(青森県腎臓病患者連絡協議会副会長)

私の家族は両親共に糖尿病疾患の家系で、父と姉は既に早世し、母と甥は今も闘病しています。
私自身、23歳の時に発病以来30余年を経、合併症による腎不全で週3度の透析を欠かせない日々を送っています。

この度、旧友である残間昭彦君の体験記の原稿を読み、病床にある我が身を振り返ると共に親の看取り方について考えさせられました。
向後「高齢化社会」へと向かう一途である今、きっと、誰しもが「明日は我が身」と、身につまされる追体験になる本だと思います。

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クラウドファンディングとは……
この言葉はまだ耳新しいものですが、広く一般からの支援を募り、何かのプロジェクト実現の資金源とする、というシステム自体は古くから行われてきました。
これは有名な話ですが……、あの野口英世も、山ほどの借金をしていました。
「学問のため」と称し友人の実家や恩師にまで無遠慮に金の無心をし、その多くを遊興に費やしてしまい、留学の渡航費がなくなり又借金を繰り返す。まったく感心できません。
でも、結果、細菌学で功をなし、黄熱病や梅毒の病原体を発見して、人類を救った……。
寄付や募金を「人のフンドシで相撲……」と言うのなら、その最たる親玉は野口英世と言えるでしょう。
そして、その二番手は今NHKの〝大河ドラマ〟で走っている金栗四三さん。と、いうわけです。
しかし、そんな大馬鹿者に手を差し伸べる行為も大事なんです。
もう一つ言うなら、野口英世の家がもし裕福であったなら、間違いなくあの功績は成し得なかったということです。

 

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messege
幼い日に聴いた童謡や子守唄のような本をつくりたい……。
私はこの手記をそんな想いで書きました。
母親との思い出や故郷の記憶は皆んな様々で違っていても、あの懐かしい歌に触れる時、不思議と誰もが同じ情景と郷愁を心に見ることが出来ます。
そんなふうに、このささやかな物語が、いま同じような境遇で辛い思いをしている誰かの、心を慰め励ますことを願っています。

不遜な物言いで恐縮ですが、これは私個人の母へのレクイエムではなく、よくある家族史のような記念出版ではありません。
そうしたパーソナルなものではない、あくまで公に向けた発信と考えています。
だからこそ、書店での流通に加え、病院・施設・図書館などへの寄贈により、一人でも多くの人たちの手に届けさせていただきたいのです。
どうか、趣旨への寛容なご理解とご協力ご支援を心からお願い致します。

残間昭彦

 

https://camp-fire.jp/projects/view/182377

< サイトの開設期間は10月31日(木)まで >




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