ケネディの遺言
毎年、8月6日に広島平和公園で行われる原爆死没者の慰霊式において、広島市市長が平和宣言を読み上げる。2002年の秋葉市長の話しの中に、アメリカ第三十五代大統領、ジョン・F・ケネディの言葉を引用し、以下のように述べられたことを強く印象に残した。
「(かつて)ケネディー大統領は、『地球の未来のためには、全ての人がお互いを愛する必要はない、必要なのはお互いの違いに寛容であることだ』と述べました。その枠組みの中で、人類共通の明るい未来を創るために、どんなに小さくても良いから協力を始めることが『和解』の意味なのです。また、『和解』の心は過去を『裁く』ことにはありません。人類の過ちを素直に受け止め、その過ちを繰り返さずに、未来を創ることにあります。そのためにも、誠実に過去の事実を知り理解することが大事です。(中略)
アメリカ政府は、『パックス・アメリカーナ(米的平和)』を押し付けたり世界の運命を決定する権利を与えられているわけではありません。『人類を絶滅させる権限をあなたに与えてはいない』と主張する権利を私たち世界の市民が持っているからです……」。
実に素晴らしいスピーチであったと感嘆した。特に私は、少年の頃ケネディをとても敬愛していた時期があるので、とりわけ深い感慨を得た。
このケネディ演説の引用は、あのキューバ危機(※1962年10月、東西冷戦の時、ソ連が同盟国のキューバに核ミサイルの発射基地を建設したことを発端に米ソ間におきた抗争事件)の脅威を解決させた直後に、アメリカン大学において行われた講話の一部であると思う。
キューバ危機に際した時、ケネディは全世界の命運が我が手中にある重責を痛感していた。主戦論を唱える閣僚や軍幹部たちの強烈な圧力に耐え、民意を制止し、あくまで戦争回避を望むべき態度で非戦論を貫き通 した。それは、もしも両国が力ずくで戦えば核戦争をも誘因させることは必須であり、その結末には勝者も敗者もなく、ただ罪なき多くの人民が犠牲になるだけだ、ということを痛切に感じていたからに外ならない。
互いに一触即発の緊張を保つ中、そうしたケネディの真意はソビエト首相フルシチョフの心を遂に動かし、以下のような私信をケネディあてに打たせることとなった。「平和は誰にとっても重要です。もし、アメリカがキューバに侵攻しないことを約束し、トルコ(米同盟国)にある貴国所有のミサイルを撤去していただけるのであれば、当国がキューバに配置させた兵器や兵士は必要なくなるでしょう。このことが平和への第一歩につながることを望みます」。
こうして、互いに政府閣僚や軍幹部らに明かすことなくキューバ危機の幕を閉じることに成功し、文字どおり人類の恩人となったわけだが、この二人が後にどうなったかは皆の知る通 りである……。翌年、ケネディはダラスで凶弾に倒れ、さらにその翌年、フルシチョフは臆病者の汚名のもと首相解任という憂き目を負った。
この理不尽はいったい何なのだろうか。常に、戦いを好む者だけが権威を握り、平和を求める者ばかりが時代の犠牲者とされるのは……。
ところで、前記させた講話内で、ケネディはさらに次ぎのように話している。「人類にとっての勝利は共存と和解である。他国との相違点に盲目であるべきではないが、人類共通の利益のために、今は互いの相違点を認めようではないか。問題の全てを今すぐには克服できないとしても、多様性を認め、許し合える世界を目指すことへの努力は可能なはずだ。何故なら、我々は皆この小さな星に生き、同じ空気を吸い、誰もが子供たちの未来を大切に想っているという事実があるからだ。そして何より、我ら皆、死に逝くものなのだから」。
(後半省略)

目次Contents
プロローグPrologue
第一章「戦争を見つめる」
- 原爆の爪痕 長崎原爆資料館にて
- 広島の黒い空
- 赤と黒だけの世界
- 悲惨な戦争
- 扉は必ず開かれる
- ケネディの遺言
- 共感共苦
- ソクラテスの憂鬱
- 一番になりたい症候群
- 天下の御意見番
- 大地の子
- 何ゆえの犠牲
- 鍬と胸飾と笛
第二章「平和を考える」
第三章「未来(あす)を望む」
- 平和への入口
- 音楽が伝えるもの
- 心のとまりぎ 安曇野平和芸術館の構想
- 泣けることの幸せ
- 無量の感謝
- 心の蘇生
- フラワーチルドレン
- あなたへ花を捧げたい
- 命こそ宝(ヌチドゥタカラ)
- 打ちそこねた終止符
- 炭坑のカナリア
- すれちがう言葉
- 確かな言葉
- 歓喜(よろこび)の歌
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