7. Kiren
美しい森と湖の景色に囲まれ、かつてスウェーデンが農業国であった頃を偲ばすような素朴な木の家がぽつりぽつりと建っている。その家の壁は、ほとんどが渋い赤茶色(ファールンレッド)に塗られている。
国道80号に交差し、それを左に行くとすぐにファールンの市街に出る。森の中の道(国道294号)を抜け、視界が突然開けて明るくなった。
(中略)
彼女は古びた木のベンチに腰掛けてすでに待っていた。ストックホルムの駅でたった15分ほどを一緒にいただけの小縁であるのに、異国にくれば同邦人は皆、懐かしい親友になる。
(中略)
彼女の名前はキレン。長い黒髪が美しく、ジーンズの似合う現代的な大和撫子。キレンは札幌大学の4年生で、この度はダーラナ大学へ留学のために来たという。おかしなことに、その時まで私は彼女の名前も知らなかったのだ。メールアドレスに書いてあった“Kiren”という文字が、まさか名前だとは思わなかったのである。失礼なことではあるけれど本当だから仕方がない。私は彼女に、キレンという名前の文字は、奇麗な恋と書くのかと勝手な想像で、少しお世辞を込めて尋ねた。すると彼女は、ただのカタカナでキレンだと言う。
変わった名ではあるが、その由来が実に素敵だ。当時、名古屋に住んでいた彼女の父親が、ある時、郷里の北海道へ帰省した折り、偶然に捕まえた“黄蓮雀(きれんじゃく)”を愛知県の自宅へ連れて帰った。鳥は環境の変化に耐えられなかったのか、しばらくして死んでしまったらしい。その想い出が忘れられずに、娘にキレンと名付けたのだそうである。素敵な話であり、素晴しい父親だと思った。何が素晴しいかというと、その黄蓮雀が死んだ時、三日三晩泣き続けたなどと、自分の弱い部分を娘に話せる潔さに優しさを感じるからだ。
彼女の父親は今では仕事も引退し、郷里の北海道に建てた大きなログハウスで大自然に浴されて暮らしているという。
(後半省略)
目次
(※青色のページが開けます。)
プロローグ
第一章 旅立ちの時
- ストックホルムの光と影
- この国との出会い
- 晴天の雲の下
- バックパッカー デビューの日
- 袖すれあう旅の縁
- 百年前の花屋は今も花屋
- 郷愁のガムラスタン散歩
- バルト海の夕暮れ
- 船室での一夜
- これぞ究極のアンティーク
- 古(いにしえ)の里スカンセン
- 過信は禁物-1[ストックホルム発・ボルネス行 列車での失敗]
- そして タクシー事件
第二章 解放の時
- 森と湖の都ヘルシングランド
- 森の木に抱かれて
- 静かなる自然の抱擁
- 小さな拷問
- 私は珍獣パンダ
- ダーラナへの道-左ハンドルのスリル-
- Kiren
- 故郷の色"ファールン"
- ダーラナの赤い道
- ダーラナホースに会いにきた
- ムース注意!
- 白夜の太陽
- 過信は禁物-2[ボルネス発・ルレオ行 またも列車での失敗]
第三章 静寂の時
- 北の国 ルレオでの再会
- 雪と氷のサマーハウス
- 白夜の国のサマーライフ
- 焚き火の日
- ガラクタ屋とスティーグ
- ミスター・ヤンネ と ミセス・イボンヌ
- 田んぼん中の"ラーダ"
- 中世の都 ガンメルスタード
- 余情つくせぬ古都への想い
- 流氷のささやきに心奪われ
- 最後の晩餐-ウルルン風-
- 白夜の車窓にて
- ストックホルムのスシバー
- 旅のおまけ["モスクワ"フシギ録]
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