8. 中世の都 ガンメルスタード
ここは、ユネスコの世界遺産にも認定されているルレオの旧市街“ガンメルスタード”、築後350年以上にもなる建造物群がそのまま残っているというところだ。
トモコたちのアパートから、車で15分ほどで行ける。あまり近すぎて、彼らにとってはほとんどありがたみを感じないらしいのだが、私は1週間の滞在中に3度も見に行ってしまった。
ガンメルスタードのある地域は、千年ほど前まではルレオ川河口にある小さな島だったというのだけれど、それが数百年のうちに土地が隆起して陸続きになった。もっと言えば、今のルレオ市街は、さらに後まで川の水に覆われていたらしく、ガンメルスタードが栄えていた頃にはその姿すらなかった。
(中略)
街は教会を中心にして、その周りを囲むようにコテージ群が建ち並んでおり、その外れに屋外ミュージアムがある。かつての繁華街がそのまま保存されているのだ。そこには往時(おうじ)のまま残された八角形の大きなダンスホールがあり、店や工場などの建物もたくさん見られる。ここもやはり、中世の街を残した屋外ミュージアムとしては世界最大級であるらしいけれど、ビルの高さばかりを競い合っているアメリカや中国などの“世界一”とは真価の違いが大きい。
雪解け水でぬかるむ土の道をさらに奥へ行ってみると、何やら機械音が聞こえてきた。古いログハウスの脇へ回ってみると一人の男がいた。パインの木の丸太を小さく切り、さらにそれをスライスして薄い板にしている。屋根を葺く“ウッドシングル”かと尋ねると、「そうだ、ルーフィング(屋根材)だ」と言った。
ウッドシングルとは、紀元前一世紀頃からローマ教会に使われるようになったのが発祥といわれる、薄い木の板を瓦状に葺く屋根仕上材である(幅76から 152ミリ、長さ457ミリ、厚さ3から7ミリ)。スウェーデン人は昔、屋根の上に白樺の木の皮を葺いただけの質素な家に住んでおり、後にその上にワラを敷いて断熱をし、さらに土を敷いて草を生えさせ雨風をしのぐといった方法を用いてきた。そして、このウッドシングルがスウェーデンで一般に使われるようになったのは、およそ19世紀に入ってからのことだというから案外つい最近のことだ。小さな釘が工場で大量生産されるようになったことがきっかけなのだそうだ。
人の良さそうな男が「お前は学生か?」と聞いてきた。もう来年40才になろうというのに今だ学生に見られるとはどう受け止めて良いのだろうか、などと思いつつ「ビジネスマンだ」と答えると、今度は「どんな仕事をしているのか」と尋ねられた。スウェーデンのログハウスを日本で売っていることを話し懐から写真を出して見せると、男はひどく感心して「それならば是非このウッドシングルを使え」と1枚のサンプル材とカタログを私に手渡しベラベラと説明を始めた。もちろん、私にはほとんど理解できなかったので、後でトモコにカタログの内容を訳してもらい、ちょうどこの時が年に1度のウッドシングルを作る時期であったことを知った。
少し肌寒くなってきたので、そろそろ帰ろうかと思い足早に歩き出すと、ある家の中に赤々と燃える炎が見えた。暖炉の火かと思いさりげなく覗いてみると、年寄り夫婦が2人でパンを焼いている。“トゥンブレード”と呼ばれる薄いパンで、昔から冬の間の保存食として一般 に食されている。大きく丸い形をしたスウェーデンの伝統的なそのパンは、真ん中に穴を開けて、そこに棒を通 して天井から吊っておく。
ドアをノックして中を見せてほしいと頼むと気さくに招き入れてくれ、頼んでもいないのに、あれこれとポーズを取っては写真のモデルまでしてくれた。夏のシーズンには、観光客用にそうしたパン工場や工芸品作りなどの風景を見学できる体験イベントがあるらしいことを聞いていたが、ここはちょっと違うようである。それにしても随分とたくさんのパンを焼いているので、町へ持って行って売るのかと聞いてみたが、どうも言葉が通じずに何も答えてもらえない。
後でトモコに聞いてみると、笑いながら「それは職業のパン屋さんではない」と言う。トゥンブレードなるパンは、大きくて火力の強い窯がなければ焼けないので、一般 の人に1日いくらかで貸しているレンタル工房なのだそうだ。そこで、その人たちは自分でパンを焼き、数カ月分ほどの蓄えにするということだ。
偶然にも、2つの面白いものを見ることができたことに“おまけ”をもらったような気持ちになれ、私は大いに満足であった。
目次
(※青色のページが開けます。)
プロローグ
第一章 旅立ちの時
- ストックホルムの光と影
- この国との出会い
- 晴天の雲の下
- バックパッカー デビューの日
- 袖すれあう旅の縁
- 百年前の花屋は今も花屋
- 郷愁のガムラスタン散歩
- バルト海の夕暮れ
- 船室での一夜
- これぞ究極のアンティーク
- 古(いにしえ)の里スカンセン
- 過信は禁物-1[ストックホルム発・ボルネス行 列車での失敗]
- そして タクシー事件
第二章 解放の時
- 森と湖の都ヘルシングランド
- 森の木に抱かれて
- 静かなる自然の抱擁
- 小さな拷問
- 私は珍獣パンダ
- ダーラナへの道-左ハンドルのスリル-
- Kiren
- 故郷の色"ファールン"
- ダーラナの赤い道
- ダーラナホースに会いにきた
- ムース注意!
- 白夜の太陽
- 過信は禁物-2[ボルネス発・ルレオ行 またも列車での失敗]
第三章 静寂の時
- 北の国 ルレオでの再会
- 雪と氷のサマーハウス
- 白夜の国のサマーライフ
- 焚き火の日
- ガラクタ屋とスティーグ
- ミスター・ヤンネ と ミセス・イボンヌ
- 田んぼん中の"ラーダ"
- 中世の都 ガンメルスタード
- 余情つくせぬ古都への想い
- 流氷のささやきに心奪われ
- 最後の晩餐-ウルルン風-
- 白夜の車窓にて
- ストックホルムのスシバー
- 旅のおまけ["モスクワ"フシギ録]
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